ものおもうあし ――あたりまえのことをあたりまえにかたる。
もの思う葦 ――当りまえのことを当りまえに語る。

冒頭文

はしがき もの思う葦(あし)という題名にて、日本浪曼派(ろうまんは)の機関雑誌におよそ一箇年ほどつづけて書かせてもらおうと思いたったのには、次のような理由がある。 「生きて居ようと思ったから。」私は生業(なりわい)につとめなければいけないではないか。簡単な理由なんだ。 私は、この四五年のあいだ既に、ただの小説を七篇も発表している。ただとは、無銭の謂(い)いである。けれどもこの

文字遣い

新字新仮名

初出

はしがき~ふたたび書簡のこと「日本浪曼派」1935(昭和10)年8月~12月、わが儘という事~余談「東京日日新聞」1935(昭和10)年12月14日、15日、Alles Oder Nichts「葦」1950(昭和25)年8月10日発行、葦の自戒~敵「作品」1936(昭和11)年1月1日発行、健康~最後のスタンドプレイ「文芸通信」1936(昭和11)年1月1日発行、冷酷ということについて~わがダンディスム「文芸汎論」1936(昭和11)年1月1日発行、「晩年」に就いて~宿題「文芸雑誌」1936(昭和11)年1月1日発行

底本

  • 太宰治全集10
  • ちくま文庫、筑摩書房
  • 1989(平成元)年6月27日