てんきぼ
点鬼簿

冒頭文

一 僕の母は狂人だった。僕は一度も僕の母に母らしい親しみを感じたことはない。僕の母は髪を櫛巻(くしま)きにし、いつも芝の実家にたった一人坐(すわ)りながら、長煙管(ながぎせる)ですぱすぱ煙草(たばこ)を吸っている。顔も小さければ体も小さい。その又顔はどう云う訳か、少しも生気のない灰色をしている。僕はいつか西廂記(せいそうき)を読み、土口気泥臭味の語に出合った時に忽(たちま)ち僕の母の顔を

文字遣い

新字新仮名

初出

「改造」1926(大正15)年10月

底本

  • 昭和文学全集 第1巻
  • 小学館
  • 1987(昭和62)年5月1日