うつくしきつきよ |
美しき月夜 |
冒頭文
静かな晩である。 空気は柔かく湿って、熟しかけた林檎(りんご)からは甘酸い、酸性のかおりが快く、重く眠たい夜気の中に放散し、薄茶色の煙のような玉蜀黍(とうもろこし)の穂が澄みわたった宙に、ひっそりと影を泛べている。到るところに陰翳(いんえい)の錯綜があった。夏と秋の混り合った穏やかなどことなく淋しい景物が、今パット咲いた銀色の大花輪のような月光の下で、微かに震えながら擁(だ)き合っている
文字遣い
新字新仮名
初出
「中央公論」1919(大正8)年11月号
底本
- 宮本百合子全集 第一巻
- 新日本出版社
- 1979(昭和54)年4月20日