いさわらんけん
伊沢蘭軒

冒頭文

その一 頼山陽は寛政十二年十一月三日に、安藝国広島国泰寺裏門前杉木小路(すぎのきこうぢ)の父春水の屋敷で、囲の中に入れられ、享和三年十二月六日まで屏禁せられて居り、文化二年五月九日に至つて、「門外も為仕度段(つかまつらせたきだん)、存寄之通可被仕候(つかまつらるべくそろ)」と云ふ浅野安藝守重晟(しげあきら)が月番の達しに依つて釈(ゆる)された。山陽が二十一歳から二十六歳に至る間の事である

文字遣い

新字旧仮名

初出

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年6月~1917(大正6)年9月

底本

  • 鴎外選集 第7巻 
  • 岩波書店
  • 1979(昭和54)年5月22日