やもりものがたり |
やもり物語 |
冒頭文
ただ取り止めもつかぬ短夜の物語である。 毎年夏始めに、程近い植物園からこのわたりへかけ、一体の若葉の梢が茂り黒み、情ない空風(からかぜ)が遠い街の塵を揚げて森の香の清い此処(ここ)らまでも吹き込んで来る頃になると、定まったように脳の工合が悪くなる。殺風景な下宿の庭に鬱陶(うっとう)しく生いくすぶった八(や)つ手(で)の葉蔭に、夕闇の蟇(ひきがえる)が出る頃にはますます悪くなるばかりである
文字遣い
新字新仮名
初出
「ホトトギス」1907(明治40)年10月
底本
- 寺田寅彦全集 第一巻
- 岩波書店
- 1996(平成8)年12月5日