れっしゃ
列車

冒頭文

一九二五年に梅鉢工場といふ所でこしらへられたC五一型のその機關車は、同じ工場で同じころ製作された三等客車三輛と、食堂車、二等客車、二等寢臺車、各々一輛づつと、ほかに郵便やら荷物やらの貨車三輛と、都合九つの箱に、ざつと二百名からの旅客と十萬を越える通信とそれにまつはる幾多の胸痛む物語とを載せ、雨の日も風の日も午後の二時半になれば、ピストンをはためかせて上野から青森へ向けて走つた。時に依つて萬歳の叫喚

文字遣い

旧字旧仮名

初出

「サンデー東奧」1933(昭和8)年2月

底本

  • 太宰治全集2
  • 筑摩書房
  • 1998(平成10)年5月25日