わがこのし
我が子の死

冒頭文

三十七年の夏、東圃(とうほ)君が家族を携えて帰郷せられた時、君には光子という女の児があった。愛らしい生々した子であったが、昨年の夏、君が小田原の寓居の中に意外にもこの子を失われたので、余は前年旅順において戦死せる余の弟のことなど思い浮べて、力を尽して君を慰めた。しかるに何ぞ図(はか)らん、今年の一月、余は漸く六つばかりになりたる己(おの)が次女を死なせて、かえって君より慰めらるる身となった。

文字遣い

新字新仮名

初出

「国文学史講話」藤岡作太郎著、1917(明治40)年

底本

  • 西田幾多郎随筆集
  • 岩波文庫、岩波書店
  • 1996(平成8)年10月16日