ひとつのともしび わたしのかいたころ
一つの灯 私の書いた頃

冒頭文

学徒動員ということがはじまって学生が戦線にかり立てられはじめたころ、日本のファシズム権力は、そういう立場に立たされた若い人々自身およびその周囲の理性人の思索なり感情なり批判なりを公表されることを極度にきらった。大学新聞は廃刊させられるようになった。法政大学新聞もやがて同じ過程をたどったのだけれども法政大学新聞は最後まで出来る限り、思想の権利、発言の権利、理性の判断する権利を守ろうと努力していて一九

文字遣い

新字新仮名

初出

「法政大学新聞」1948(昭和23)年11月1日号

底本

  • 宮本百合子全集 第十七巻
  • 新日本出版社
  • 1981(昭和56)年3月20日