かいがらついほう 015 「うらがれ」のさくしゃ |
貝殻追放 015 「末枯」の作者 |
冒頭文
久保田万太郎君と自分とのおつきあひも既に十年になつた。久保田君が「朝顏」を書き、自分が「山の手の子」を書いた頃から知己(ちかづき)になつたのだ。 あれは「三田文學」創刊の年の秋だつたと思ふ。その頃三田の山の上にかたまつて居た連中が、同人雜誌を出す計畫をした。誰一人作品を發表した事の無い處女性から、「三田文學」といふやうな立派な雜誌を舞臺にする事は思ひもよらなかつたので、先づ手習に同人雜誌
文字遣い
旧字旧仮名
初出
「三田文學」1919(大正8)年9月号
底本
- 水上瀧太郎全集 九卷
- 岩波書店
- 1940(昭和15)年12月15日