たかせぶねえんぎ
高瀬舟縁起

冒頭文

京都の高瀬川は、五條から南は天正十五年に、二條から五條までは慶長十七年に、角倉了以(すみのくられうい)が掘つたものださうである。そこを通ふ舟は曳舟である。原來たかせは舟の名で、其舟の通ふ川を高瀬川と云ふのだから、同名の川は諸國にある。しかし舟は曳舟には限らぬので、和名鈔には釋名の「艇小而深者曰舼(ていせうにしてふかきものをきようといふ)」とある舼(きよう)の字をたかせに當ててある。竹柏園文庫の和漢

文字遣い

旧字旧仮名

初出

「心の花 第二十巻第一号」1916(大正5)年1月1日発行

底本

  • 日本現代文學全集 7 森鴎外集
  • 講談社
  • 1962(昭和37)年1月19日