こうちょうさんだい
校長三代

冒頭文

私が弘前の高等學校にはひつてその入學式のとき、訓辭した校長は、たしか黒金といふ名前であつたと記憶してゐる。金椽の眼鏡を掛け、痩身で、ちよつと氣取つた人であつた。高田早苗に似てゐた。植木が好きで、學校のぐるりに樣々の植木を、優雅に配置し、ときどき、ひとり、兩手をうしろに組んで、その植木の間を、ゆつくり縫つて歩いてゐた。 間もなくゐなくなつて、そのかはりに來たのは、鈴木信太郎氏である。このひ

文字遣い

旧字旧仮名

初出

「帝國大學新聞」1938(昭和13)年10月31日

底本

  • 太宰治全集11
  • 筑摩書房
  • 1999(平成11)年3月25日