やせがまんのせつ 01 じょ |
瘠我慢の説 01 序 |
冒頭文
瘠我慢(やせがまん)の説(せつ)は、福沢先生が明治二十四年の冬頃に執筆せられ、これを勝安芳(かつやすよし)、榎本武揚(えのもとたけあき)の二氏に寄せてその意見を徴(もと)められしものなり。先生の本旨(ほんし)は、右二氏の進退(しんたい)に関し多年来(たねんらい)心に釈然(しゃくぜん)たらざるものを記して輿論(よろん)に質(ただ)すため、時節(じせつ)を見計(みはか)らい世に公(おおやけ)にするの考
文字遣い
新字新仮名
初出
「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」時事新報社、1901(明治34)年5月2日
底本
- 明治十年丁丑公論・瘠我慢の説
- 講談社学術文庫、講談社
- 1985(昭和60)年3月10日