とばけのこども
鳥羽家の子供

冒頭文

松根は五人目の軍治を生んだ時にはもう四十を越えてゐた。子供の間が遠くて、長女の民子はその時他へ嫁いでゐた位だつたが、男の児と云つては、長男の竜一が漸(やうや)く小学校に上つた許(ばか)りであり、次の昌平は悪戯(いたづら)盛りで、晩年のお産のためか軍治は発育が悪く、無事に育てばよいがと思はれる程だつた。 松根の身体もそれ以後めつきり弱つた。気管支が悪いと医者に注意されもしたし、雨の日など寝

文字遣い

新字旧仮名

初出

「文科」第4輯、1932(昭和7)年3月

底本

  • 筑摩現代文学大系 60 田畑修一郎 木山捷平 小沼丹集
  • 筑摩書房
  • 1978(昭和53)年4月15日