だいどうじしんすけのはんせい ―あるせいしんてきふうけいが―
大導寺信輔の半生 ―或精神的風景画―

冒頭文

一 本所 大導寺信輔の生まれたのは本所の回向院の近所だつた。彼の記憶に残つてゐるものに美しい町は一つもなかつた。美しい家も一つもなかつた。殊に彼の家のまはりは穴蔵大工だの駄菓子屋だの古道具屋だのばかりだつた。それ等の家々に面した道も泥濘の絶えたことは一度もなかつた。おまけに又その道の突き当たりはお竹倉の大溝(おほどぶ)だつた。南京藻の浮かんだ大溝はいつも悪臭を放つてゐた。彼は勿論かう言ふ町々

文字遣い

新字旧仮名

初出

「中央公論」1925(大正14)年1月1日

底本

  • 芥川龍之介全集第十二巻
  • 岩波書店
  • 1996(平成8)年10月8日