どうじょうじふけんき |
道成寺不見記 |
冒頭文
恩師の一世一代という意味ばかりではない。喜多六平太の道成寺なるものを一度も見なかったせいばかりではない。喜多六平太氏の葵上を見て、怨霊ものとしての凄絶さに圧倒された体験のある筆者は、恩師六平太師をただ葵上と道成寺を舞うために生まれて来た人である。従ってこの道成寺は前後百年を通じて又見られない筈のものである。むしろ空前絶後と言いたいくらいに考えていた筆者であった。実さんもその他の友達も、是非見て置け
文字遣い
新字新仮名
初出
「喜多」1935(昭和10)年6月
底本
- 夢野久作全集7
- 三一書房
- 1970(昭和45)年1月31日