「エル・ハヂ」など |
「エル・ハヂ」など |
冒頭文
「羅馬を後にして、カンパニヤの野邊を横り、アルバノの山の東を走り、險しき山の崖、石多き川の谷を過ぎ、いつしかカッシノに著けば、近くモンテ・カッシノ山の聳ゆるあり、僧院の建物見ゆ。」とは濱田青陵の南歐遊記の一節である。 そのモンテ・カッシノ僧院に、ジィドは或年(戰爭の數年前)一週間ばかり滯在してゐた。さうしてその地を立ち去らうとした日、病氣のため謁見できずにゐた僧院長にはじめてその自室に呼ばれ
文字遣い
旧字旧仮名
初出
「アンドレ・ジイド全集月報7」1951(昭和26)年1月25日号
底本
- 堀辰雄作品集第四巻
- 筑摩書房
- 1982(昭和57)年8月30日