しんとくまる |
身毒丸 |
冒頭文
身毒丸(シントクマル)の父親は、住吉から出た田楽師であつた。けれども、今は居ない。身毒はをり〳〵その父親に訣れた時の容子を思ひ浮べて見る。身毒はその時九つであつた。 住吉の御田植神事(オンダシンジ)の外は旅まはりで一年中の生計を立てゝ行く田楽法師の子どもは、よた〳〵と一人あるきの出来出す頃から、もう二里三里の遠出をさせられて、九つの年には、父親らの一行と大和を越えて、伊賀伊勢かけて、田植能の興行
文字遣い
新字旧仮名
初出
「みづほ 第八号」1917(大正6)年6月
底本
- 死者の書・身毒丸
- 中公文庫、中央公論新社
- 1999(平成11)年6月18日