さいとうりょくう
斎藤緑雨

冒頭文

「僕は、本月本日を以て目出たく死去仕(つかまつり)候」という死亡の自家広告を出したのは斎藤緑雨(さいとうりょくう)が一生のお別れの皮肉というよりも江戸ッ子作者の最後のシャレの吐きじまいをしたので、化政度戯作文学のラスト・スパークである。緑雨以後真の江戸ッ子文学は絶えてしまった。 紅葉も江戸ッ子作者の流れを汲(く)んだが、紅葉は平民の子であっても山の手の士族町に育って大学の空気を吸った。緑雨は

文字遣い

新字新仮名

初出

「現代」1913(大正2)年4月号

底本

  • 新編 思い出す人々
  • 岩波文庫、岩波書店
  • 1994(平成6)年2月16日