くずのめいぎ |
国栖の名義 |
冒頭文
大和吉野の山中に国栖という一種の異俗の人民が居た。所謂山人(やまびと)の一種で、里人(さとびと)とは大分様子の違ったものであったらしい。応神天皇の十九年に吉野離宮に行幸のあった時、彼ら来朝して醴酒を献じた。日本紀には正に「来朝」という文字を使っている。彼らは人となり淳朴で、常に山菓(このみ)を取って喰う。また蝦蟆(かえる)を煮て上味とする。その土(くに)は京(応神天皇の都は高市郡の南部大軽の地)よ
文字遣い
新字新仮名
初出
「史林 第四巻第一号」1919(大正8)年1月号
底本
- 先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選
- 河出書房新社
- 2008(平成20)年1月30日