きょうらくじん
享楽人

冒頭文

五、六年前のことと記憶する。ある夜自分は木下杢太郎(きのしたもくたろう)と、東京停車場のそのころ開かれてまだ間のない待合室で、深い腰掛けに身を埋めて永い間論じ合った。何を論じたかは忘れたが、熱心に論じ合った。二人の意見がなかなか近寄って来なかった。そこを出て大手町から小川町(おがわまち)の方へ歩いて行く間も、なお論じ続けた。日ごろになく木下が興奮しているように思えた。小川町の交叉点で——たしかそこ

文字遣い

新字新仮名

初出

「人間」1921(大正10)年5月号

底本

  • 和辻哲郎随筆集
  • 岩波文庫、岩波書店
  • 1995(平成7)年9月18日