あるかたきうちのはなし
或敵打の話

冒頭文

発端 肥後(ひご)の細川家(ほそかわけ)の家中(かちゅう)に、田岡甚太夫(たおかじんだゆう)と云う侍(さむらい)がいた。これは以前日向(ひゅうが)の伊藤家の浪人であったが、当時細川家の番頭(ばんがしら)に陞(のぼ)っていた内藤三左衛門(ないとうさんざえもん)の推薦で、新知(しんち)百五十石(こく)に召し出されたのであった。 ところが寛文(かんぶん)七年の春、家中(かちゅう)の武芸の

文字遣い

新字新仮名

初出

「雄弁」1920(大正9)年5月

底本

  • 芥川龍之介全集3
  • ちくま文庫、筑摩書房
  • 1986(昭和61)年12月1日